
アイマラ(西: Aymara)は、南アメリカのアンデス山脈に広がる高原アルティプラノを伝統的な居住地域とする民族集団。ボリビア・ペルー・チリの先住民族。固有の言語にアイマラ語があり、同語を用いることがアイマラの定義とされた時代もあるが、現代においては使用言語にかかわらず、アイマラにルーツを持つ者全般を指し、アイマラ系住民ともいわれる。
歴史
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15世紀頃にインカ帝国に併合されたチチカカ湖周辺の民族集団が祖先とされている[1][2]。インカ帝国内では、一定の自治が認められ、アイユといわれる血縁集団を基礎とした社会体制が継続した[1][2]。インカ帝国に組み込まれる以前の歴史は定かでないが、13世紀頃にアイマラ語を用いる集団がチチカカ湖周辺に進出し、ティワナク文明の末裔であるコジャに代わって、同地域における多数派集団となったのではないかと考えられている[1][2]。
16世紀に入ると、同集団は自他ともに「アイマラ」と認識されるようになり、その後、アイマラの言語(アイマラ語)を用いる者全体を指すようになる[1]。居住地域が一部重複するケチュアとは、相互に影響を与え合ったため、生活習慣や社会体制に類似点も多く、ケチュア語とアイマラ語で共通する語彙も少なくない[1][2]。
16世紀後半に、スペインの支配下に置かれるが、租税・鉱山労働を負担することと引き換えに伝統的な社会体制は保持される[1]。18世紀末にはトゥパク・カタリを中心とする反植民地運動を展開し、政治的意識を高めていく[1]。チチカカ湖周辺地域がスペインから独立を果たし、ボリビア・ペルー・チリが成立すると、近代的な国家体制の中で政治的発言力を高めていく方針を採り、各国の議会にも議員を送り出すようになる[1]。20世紀に入ると、都市部への移住も増え、特にボリビアのラパス周辺に人口が集中していく[1][3]。
1970年前後に興ったカタリスタ運動の中で、高等教育を受けた知識層も増加していく[4]。一方で、都市部への進出と新たな知識層の誕生は、スペイン語の使用機会の増加につながり、アイマラ語の位置づけは相対的に低下していった[3]。ボリビアが実施している国勢調査においても、時代を経るごとにアイマラの定義・範囲は曖昧化していき、2001年に実施した調査では、アイマラ語話者であるかだけではなく、自らをアイマラと認識しているか否かも判断指標とされた[3]。このため、同年の調査では、ボリビア内に約128万人のアイマラが居住していることになっているが、これを一つの同質的な集団と見ることは難しい状況にある[3]。
20世紀末には、アイマラ語に代わる民族集団としてのアイデンティティを歴史と伝統文化に求める傾向が強くなる[3][4]。2006年には、エボ・モラレスがボリビア大統領に就任し、先住民の権利拡大を旗頭に自身のルーツであるアイマラを重視した政策を展開するが、これは同時に他の先住民系住民との対立を引き起こすという矛盾も生じさせた[1]。
伝統文化
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歴史的な居住地域は、ボリビア・ペルー・チリにまたがる高原地帯アルティプラノであり、牧畜、ジャガイモやカニワ(キヌアの近縁種)の栽培、チチカカ湖での漁労を組み合わせる生活を営んでいた[1][5]。湖畔に自生するトトラを家畜の飼料にするなど、チチカカ湖が伝統的な社会の基盤となっている[2][5]。アイユといわれる血縁集団が牧畜や農耕を行う共有地の管理単位として機能する[1][2][5]。
大地を司るパチャママ、アンデスの山の化身であるアチャチラスとマユクスを中心とした信仰が根付いており、21世紀においても、パチャリャンピといわれる豊穣祭などが受け継がれている[5]。スペイン文化の流入以降は、キリスト教の守護聖人信仰と融合し、カルゴ・システムにも取り込まれ、独自の守護聖人祭が執り行われるようになる[1]。
また、ラパス周辺では、自らが欲するモノを象ったお守り(イリャ)を身に着ける風習があり、これが現代にまで受け継がれる過程で家や車のミニチュアの収集文化へと転じ、アラシタ祭でのミニチュア市に発展していく[4]。
伝統的な手工業として、リャマ、ビクーニャ、アルパカなどの獣毛を使った毛織物の製造があり、民俗衣装の素材にも使われる[5]。男性は丈の短い貫頭衣にマント、女性はポジェラにアワヨといわれるショールを組み合わせるのが伝統的なスタイルとされる[5]。衣服に用いる柄や色は、出身地や社会的地位を現す[5]。また、田中薫・田中千代が1950年代にアロマ郡に住むアイマラの女性の服装を調査しており、そこでは、アイマラの女性の服飾品として、アワヨに挿すピチ(Pfichi)といわれるスプーン状のアクセサリー、毛糸を撚って作ったコラニア(Coragna)といわれる長さ60センチメートル前後の組紐があると記録している[6]。
宗教
[編集]キリスト教が浸透するよりも前のアイマラ族の人たちは、死んだ人は神になると考えていた。また、各人の墓が作られ、身分によって墓のグレードが違っていた。さらに、山や木、岩などに神が宿るという、いわゆる八百万の神のような考え方を持っていた。
このように多神教であったが、アイマラやインカを含めたアンデス地方で最も信仰を集めていた神は大地を司どる地母神パチャママであり、現在でも広く信仰され続けている[7]。トゥヌパは自然現象を司っており、かつてはパチャママと並ぶ信仰対象であった[要出典]。
現代ではヤスタイ(Yastay/Llastay)は二次的な大地の男神で[8]、鳥類や地上や山上の動物の守護神とされる。よってリャマ、ビクーニャ、グアナコなどラクダ科動物、巨鳥コンドルを守る。特に動物の子供を狙うハンターは敵視され、ヤスタイがこれらを恐怖させ、あるいは発狂させる[7][注 1]
プフジャイ(Pujllay)は、ダンスのプクジャイの別名でもあるが、謝肉祭(カーニバル)の精霊とも説明される[7]。サッパン・スックーンはディアギータ族の俗信やアイマラ族の民話に語られる女神で、人間が自分の子らを託して授乳させる、また、動物の子供を肉食獣やハンターから守ると言われる[7][9]。
注釈
[編集]出典
[編集]- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 『ラテンアメリカ文化事典』丸善出版、2021年、148-149頁。ISBN 978-4-621-30585-0。
- 1 2 3 4 5 6 『ラテンアメリカを知る事典 新版』平凡社、2013年、22頁。ISBN 978-4-582-12646-4。
- 1 2 3 4 5 『講座世界の先住民族 中米・カリブ海・南米』明石書店、2007年、236-250頁。ISBN 978-4-7503-2452-4。
- 1 2 3 『ボリビアを知るための65章 第3版』明石書店、2025年、71-74頁。ISBN 978-4-7503-5873-4。
- 1 2 3 4 5 6 7 『アンデス高地』京都大学学術出版会、2007年、503-513頁。ISBN 978-4-87698-704-7。
- ↑ 田中薫、田中千代『原色世界衣服大図鑑』保育社、1961年、73-75頁。doi:10.11501/9580831。
- 1 2 3 4 5 6 Nucci, Armando M. Pérez de Nucci; Ros, Carlos Cowan (1988). “Capitulo 2. Pautas para una política sanitaria”. Making Commons Dynamic: Understanding Change Through Commonisation and Decommonisation. New York: Ediciones Del Sol. p. 43. ISBN 950-9413-34-8. https://books.google.com/books?id=TSBmpJxSXHcC&pg=PA43
- ↑ Colombresに拠る[7]。
- ↑ Martín,Paula(2014)..In(es, en)..Translated by Paula Martín; Illustrations by Luna Núñez.Bloomsbury Publishing USA .pp. 196–197. ISBN 9781610698535. https://books.google.com/books?id=Pk3EEAAAQBAJ&pg=PA196