| 大橋 武夫 おおはし たけお | |
|---|---|
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| |
| 生年月日 | 1904年11月24日 |
| 出生地 | 京都府舞鶴市 |
| 没年月日 | (1981-10-03) 1981年10月3日(76歳没) |
| 出身校 | 東京帝国大学法学部 |
| 前職 | 内務省官僚 |
| 所属政党 |
(民主自由党→) (自由党→) 自由民主党 |
| 称号 |
正三位 勲一等旭日大綬章 |
| 親族 | 濱口雄幸(義父) |
| 内閣 |
第1次佐藤第3次改造内閣 第2次佐藤内閣 |
| 在任期間 | 1966年12月3日 - 1967年11月25日 |
| 内閣 |
第2次池田第2次改造内閣 第2次池田第3次改造内閣 第3次池田内閣 |
| 在任期間 | 1962年7月18日 - 1964年7月18日 |
| 内閣 | 第3次吉田第3次改造内閣 |
| 在任期間 | 1951年12月26日 - 1952年8月1日[1] |
| 内閣 |
第3次吉田第1次改造内閣 第3次吉田第2次改造内閣 |
| 在任期間 | 1950年6月28日 - 1951年12月26日 |
| 選挙区 | 島根県全県区 |
| 当選回数 | 10回 |
| 在任期間 | 1949年 - 1976年 |
大橋 武夫(おおはし たけお、1904年〈明治37年〉11月24日 - 1981年〈昭和56年〉10月3日[4])は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。位階は正三位。自由民主党所属の衆議院議員。運輸大臣、労働大臣、警察予備隊担当大臣、法務総裁を歴任。
概要
[編集]島根県仁多郡三成町(現在の奥出雲町)出身[5]。島根士族大橋只三郎の養子で陸軍少将常三郎の長男[6]。母は代言人北田正董娘の酉。
内務省に入り岡山県警察部長のあと終戦直後の戦災復興院次長となる[7]。1949年の衆議院選挙(島根県全県区)に初出馬当選、1976年の総選挙で落選、引退するまで連続10回当選。この間第3次吉田内閣で法務総裁、国務大臣(警察予備隊担当)、第2次及び第3次池田内閣で労働大臣、第1次及び第2次佐藤内閣で運輸大臣を歴任する[7]。
経歴
[編集]
大日本帝国陸軍少将大橋常三郎の長男として、父親の任地である京都府舞鶴に生まれる。
東京府立一中、第一高等学校文科甲類を経て、1924年4月に東京帝国大学文学部社会学科に入学。1925年4月に法学部政治学科に転学し、1927年文官高等試験司法科・行政科試験に合格。1928年に東京帝国大学法学部政治学科を首席で卒業。内務省に入省する。土木局属[8]。
埼玉県社会課長、国際労働総会政府代表委員顧問として欧州各国への出張、傷兵保護院業務局補導課長、厚生省労働局賃金課長、内務省土木局計画課長、戦災復興院計画局長、同次長を経て、1949年第24回衆議院議員総選挙に民主自由党から島根県全県区にて立候補し当選を果たす(当選同期に池田勇人・佐藤栄作・前尾繁三郎・橋本龍伍・麻生太賀吉・小渕光平・西村英一・橋本登美三郎・福永健司・塚原俊郎・藤枝泉介・木村俊夫・稲葉修・河本敏夫・森山欽司・床次徳二・有田喜一など)。以後当選10回。翌1950年、第3次吉田第1次改造内閣で法務総裁に抜擢された。
法務総裁時代に最高検次長検事の木内曽益を札幌高検検事長にし、後任に岸本義広広島高検検事長を起用する人事に関する「木内騒動」が起こり、馬場義続とは「二重煙突事件」で対決した。また、国家公務員のレッドパージを指揮した。在職中に不正入出国に関する件で衆議院行政監察特別委員会に証人喚問された[9]。1951年には、警察予備隊担当大臣となり、同隊の育成に努めた。
保守合同後は池田派→佐藤派→福田派に所属。1962年第2次池田第2次改造内閣の労働大臣、1966年第1次佐藤第3次改造内閣の運輸大臣に就任した。1976年の総選挙で落選し、政界から引退した。
1975年、勲一等旭日大綬章受章。1981年10月3日死去。享年76。没後、叙・正三位。1987年10月に『大橋武夫追想録』(発行:二十一世紀社、制作:中央公論事業出版)が発行された。
人物像
[編集]カミソリの異名を取るほどの切れ者で仕事に厳しく、部下には容赦なく辛辣な叱責を浴びせ恐れられたが、労相時代は新聞配達少年たちのために「日曜夕刊廃止」を実現に導くなど、きめ細かな人情味をうかがわせる一面もあった。[要出典]。
選挙歴
[編集]| 当落 | 選挙 | 施行日 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 得票順位 /候補者数 | 比例区 | 比例順位 /候補者数 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 当選 | 第24回衆議院議員総選挙 | 1949年(昭和24年)1月23日 | 島根県全県区 | 民主自由党 | 59,486 | ' | '/- | - | -/- | |
| 当選 | 第25回衆議院議員総選挙 | 1952年(昭和27年)10月1日 | 島根県全県区 | 自由党 | 95,892 | ' | '/ | - | -/- | |
| 当選 | 第26回衆議院議員総選挙 | 1953年(昭和28年)4月19日 | 島根県全県区 | 自由党 | 60,660 | ' | '/ | - | -/- | |
| 当選 | 第27回衆議院議員総選挙 | 1955年(昭和30年)2月27日 | 島根県全県区 | 自由党 | 75,039 | ' | '/ | - | -/- | |
| 当選 | 第28回衆議院議員総選挙 | 1958年(昭和33年)5月22日 | 島根県全県区 | 自由民主党 | 79,791 | ' | '/ | - | -/- | |
| 当選 | 第29回衆議院議員総選挙 | 1960年(昭和35年)11月20日 | 島根県全県区 | 自由民主党 | 89,878 | ' | '/ | - | -/- | |
| 当選 | 第30回衆議院議員総選挙 | 1963年(昭和38年)11月21日 | 島根県全県区 | 自由民主党 | 81,080 | ' | '/ | - | -/- | |
| 当選 | 第31回衆議院議員総選挙 | 1967年(昭和42年)1月29日 | 島根県全県区 | 自由民主党 | 68,008 | - | -/- | - | -/- | |
| 当選 | 第32回衆議院議員総選挙 | 1969年(昭和44年)12月27日 | 島根県全県区 | 自由民主党 | 87,865 | - | -/- | - | -/- | |
| 当選 | 第33回衆議院議員総選挙 | 1972年(昭和47年)12月10日 | 島根県全県区 | 自由民主党 | 61,413 | - | -/- | - | -/- | |
| 落選 | 第34回衆議院議員総選挙 | 1976年(昭和51年)12月5日 | 島根県全県区 | 自由民主党 | 49,580 | - | -/- | - | -/- | |
| 当選回数10回(衆議院議員10回) | ||||||||||
家族・親族
[編集]大橋家
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- 孫・弘昌[11]
- 第41回衆議院議員総選挙に新進党公認で島根県第3区から立候補したが、落選。
親戚
[編集]その他
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ↑ 『官報』第7676号、1952年(昭和27年)8月8日、p.186、叙任及び辞令、 ※警察予備隊担当の任期は1952年7月31日まで
- ↑ 自衛隊十年史編集委員会編『自衛隊十年史』大蔵省印刷局、1961年、本人肖像に在任期間記載あり(巻頭口絵)
- ↑ 同書刊行会編『大橋武夫追想録』二十一世紀社、p.308、「略歴」
- ↑ 『大橋武夫』 - コトバンク
- 1 2 『新日本人物大観』(島根県版) 人事調査通信社 1957年 オ…497頁
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 『第二十一版 人事興信録 上』(昭和36年)お一三六
- 1 2 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』119頁
- ↑ 『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年11月発行、265頁
- ↑ 第10回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第13号 昭和26年5月28日
- 1 2 3 著『閨閥 改訂新版 』339頁
- 1996年10月21日
参考文献
[編集]関連項目
[編集]| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代 藤枝泉介 |
第36-37代:1966年 - 1967年 |
次代 中曽根康弘 |
| 先代 福永健司 |
第20-21代:1962年 - 1964年 |
次代 石田博英 |
| 先代 殖田俊吉 |
第5代:1950年 - 1951年 |
次代 木村篤太郎 |
| 先代 新設 |
1951年 - 1952年 |
次代 廃止 |