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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
けんぽうがっかい
憲法学会
英語名称 THE CONSTITUTIONAL LAW ASSOCIATION
専門分野 法学
設立 1959年4月9日
事務局 日本の旗 日本
162-0808
東京都八王子市片倉町977番地
学会事務局(日本文化大學法学部 村松研究室)
刊行物 『憲法研究』
ウェブサイト https://kempogakkai.jp/
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憲法学会 (けんぽうがっかい、英語: THE CONSTITUTIONAL LAW ASSOCIATION[1])は、日本学術研究団体の一つ。

概要

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日本国ならびに世界各国の憲法に関する研究を目的として、1959年に設立された[1]日本の憲法研究を代表する学会組織である[要出典]東条英機内閣軍閥横行を公然と批判し、東京憲兵隊に拘束され有罪となった澤田竹治郎内務省官僚(警察官僚)、元行政裁判所長官、最高裁判所判事、愛知大学教授)を初代理事長とする。日米安保条約締結の前年、左傾化が著しい学術界に危惧した政官・経済界(現経団連日本商工会議所経済同友会)等の社会理解を背景にし、穏健な中道保守主義の憲法研究を行う立憲主義に基づく、リベラルな学術研究団体として設立された。学会目的及び事業に「政府、公共団体及びその他の団体との連絡協力」があり、学術研究活動を通して政財官界の現実の政策決定に寄与することが特徴として挙げられる。

学術研究団体としての種別は単独学会である[1]。また、日本学術会議協力学術研究団体の指定を受けている[2]

学会
学会名日本公法学会日本法政学会憲法学会憲法理論研究会全国憲法研究会比較憲法学会
概要(学会名鑑による) 設立年月日:1948年6月1日【個人会員】名誉会員:1(人)正会員:1162(人)設立年月日:1953年11月23日。京都大学系(京都学派#京都学派(憲法学)他)、沿革1953年関西法政学会設立、1973年日本法政学会改称。代表的論稿として、高市早苗内閣総理大臣第104代)による憲法改正の寄稿がある[3]。【個人会員】個人会員:441(人)設立年月日:1959年4月9日 【個人会員】その他:65(人) 大学付属研究者:292(人)設立年月日:1964年1月11日 大東亜共栄圏の理論的指導者鈴木安蔵京都学派#京都学派(憲法学)左派)により設立。【個人会員】会員:370(人)設立年月日:1965年4月25日 【個人会員】会員:402(人)設立年月日:1989年4月17日 【個人会員】一般会員:215(人)学生会員:3(人)
  • 学会は複数入会可能であり、通常は複数入会し、相互に役員を選出している。事例として:令和6年度、憲法学会事務局長福島康仁(日大卒、日大法教授)は憲法学会事務局長を離任し、同年、日本法政学会理事長に着任している。
  • 比較憲法学会は憲法学会を母胎として平成になり設立され、設立メンバー・主要役員などは重複している。「比較憲法」とは、早稲田大学政治経済学部における「比較憲法学」講座に源流をおく。
これはよくよく考えてみれば不思議なことです。なぜなら、憲法学は法律学であり、法律学とは実践学ですので、実践と離れて学問のみを取り上げるのは、歴史の勉強としてはともかく、普通はあまり意味がないことだからです。そもそも、法律学なのに、学派などのスクール単位で語られること自体が、異様なことです。 ところが、こと憲法学に関して言えば、それが独立に取り上げられることには一定の意味があります。それは憲法が抽象的かつ相対的な表現を用いている上に、ときに論争的な内容(憲法9条がその典型です!)を定めているために、その意味をめぐって複数の解釈が展開されるからです。しかも、自然科学の場合とは違って、その解釈は学者のみならず、裁判官や政治家、それに一般市民によっても行われます。そうすると、どうしても学問の自律性が試されることから、裁判や政治の動きに対応して、「学派」のようなものも生まれてくるのです。一橋大学江藤祥平(法学研究科),2021年[4]

憲法学会結成趣意書

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憲法は、国家組織の基本を定め、国家活動に基準を与へる最高の法規範である。憲法は、また国民の理想と願望の宣言であり、国民生活の在り方を示す道標である。しかも、国民の理想、願望、国民生活の在り方といふものは、民族の歴史の所産であり、その凝集したものにほかならない。従つて憲法は、民族の歴史の所産として、またその凝集したものとして、その国固有の独自性の上に成立するものであり、また成立させなければならないものである。このことは、憲法をして憲法たらしめる基本原理であり、万国の憲法に通ずる普遍的原則であるといはなければならぬ。もし、それ、憲法にしてこのやうな原理原則に反するならば憲法は自ら厳しい歴史の審判の下に一個の空文と化するであらう。更にまた国家の統一と発展を阻み、国民生活の不安動揺を招き、つひには国家悠久の生命をも失はしめるに至るであらう。ここに、少くとも憲法に関しては、その規定の内容ばかりでなく、その成立するに至つた全過程が特に重視されなければならない理由がある。

顧みるに、現下わが国における思想政治法律経済宗教教育、文芸等、各界の昏迷と相剋の現状は、一にかかつて道義の頽廃と国家意識の稀薄に基因するものであるが、その由つて来る所以は、果して憲法が、右の原理原則に適合して成立したるものなりや、即ち、いはゆる憲法情態の正否如何にかかるものと考へられる。かくて、真に国家の興隆をはかり、国民生活の健全なる発展を願ふ者は、すみやかに現行憲法及びその憲法情態に検討を加へ、もつて正しき憲法生活の確立と充実に資するところがなければならない。
われらは、憲法をして憲法たらしめる基本原理、万国の憲法に通ずる普遍的原則を究明するとともに、わが国固有の独自性の上に憲法生活を確立する方途を発見し、進んでその成果をひろく世に問ひ、国家の興隆と国家生活の発展に寄与することを目的として、ここに憲法学会を結成するに至つた。われらは厳に独善を戒め、謙虚に、諸家の高説に聴き、憲法学及びその隣接諸科学の研究者たる同憂の士と相提携協力し、もつて学徒としての本分を全うしたいと冀ふものである。願はくば、ひろく同憂の学徒の御賛同と御協力を賜はらんことを。

昭和三十四年四月九日 憲法学会設立準備委員会 代表 澤田竹治郎[5]

歴代理事長

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氏名 備考
初代 澤田竹治郎 内務省官僚(警察官僚)、元行政裁判所長官、前最高裁判所判事、愛知大学教授、東京帝国大学英法科卒業
第2代 大石義雄 京都大学名誉教授、京都産業大学教授、京都大学大学院法学研究科・法学部修了、立命館大学法学博士「国民投票制度の研究」。佐々木惣一(京大教授、立命館大学学長)門下生。師匠である佐々木惣一の下で京都学派佐藤幸治阿部照哉近畿大学長・京都大学・大阪学院大学名誉教授他)を西日本全域(立命館大学など)で構築し、東京大学に対抗する学派となす。
第3代 川西誠 日本大学教授、日本大学法学博士「米国初期における諸基本法」
第4代 相原良一 東京水産大学教授、東京帝国大学法学部政治学科卒業
第5代 小森義峯 国士舘大学教授、京都産業大学教授、京都学芸大学(現:京都教育大学)助教授、京都大学大学院法学研究科・法学部修了、京都大学法学博士「連邦制度の研究」、大石義雄門下生
第6代 小島和夫 中央学院大学教授、中央大学法学部卒業、法務事務官、参議院決算委員会調査室長
第7代 土居靖美 姫路獨協大学教授、京都教育大学名誉教授、立命館大学法学部卒、京都大学大学院法学研究科・法学部修了、関西学院大学法学博士「アメリカ憲法と司法審査基準の研究」
第8代 小林昭三 早稲田大学教授、早稲田大学政治経済学部卒業、早稲田大学博士(政治学)「西洋近代憲法論再考」
第9代 竹花光範 駒澤大学教授、早稲田大学大学院政治学研究科修了、小林昭三門下生
第10代 高乗正臣 平成国際大学教授、中央大学法学部法律学科卒業、亜細亜大学大学院法学研究科、田上穰治門下生
第11代 慶野義雄 大阪国際大学教授、 防衛医科大学助教授、京都大学大学院法学研究科・法学部修了、高坂正堯門下生
第12代 東裕 日本大学教授、早稲田大学大学院政治学研究科修了、博士(国際学)大阪学院大学「太平洋島嶼国の憲法と政治文化 : フィジー1997年憲法とパシフィック・ウェイ」

特色として

  • 東京大学東京学派に対抗する)京都大学を中心とした日本の文化・伝統を重んじる京都学派
  • 政治学科・政治学専攻(東京帝国大学法学部政治学科等)。国体(國體)など天下国家を論じる東京帝国大学法科大学政治学研究の学統・学派の流れも底流する。初代総理大臣伊藤博文国家学ノ研究を企図し、働きかけ設立を促した国家学会(50周年記念の『国家学論集』(1937年)、『新憲法の研究』(1947年)、100周年記念の『国家と社会』(1987年))の各論考が参考となる。
  • 法律学科・法律学専攻に関しては、憲法学会が重視する国体・国法学の学統・学派の伝統は法律学校などの旧制大学法学部憲法講座にあり、今日でも後進を育てている。
九大法律学校
法律学校東京帝国大学東京法学校専修学校明治法律学校東京専門学校英吉利法律学校関西法律学校日本法律学校慶應義塾大学部
現在の大学名 東京大学法政大学専修大学明治大学早稲田大学中央大学関西大学日本大学慶應義塾大学

等が挙げられる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
憲法学会
京都学派
 
 
 
 
 
東京大学
東京学派
 
明治憲法時代に展開された「正統学派」と「立憲学派」という憲法学説の対立を前提として、後者の中でも、美濃部達吉に代表される「東京学派」に対して独自の地位を占めた佐々木惣一に代表される「京都学派」の特徴や意義について、分かりやすく解説する。この「京都学派」の独自性は、京都大学の設立趣旨それ自体に深く関わるものである。そして、「東京学派」と「京都学派」が、ともにヨーロッパの公法学、とくにドイツやオーストリアの国法学や国家学の吸収を通して、穂積八束を始めとする「正統学派」を凌駕するに至った過程を検討するとともに、公法学・政治学における世界的な潮流における「京都学派」の位置づけについて考察する。京都学派の伝統と可能性 京都大学 開講年度・開講期2016・前期[6]
  • 戦前における国体国法学国史研究の中心的研究機関としては、東京帝国大学法科大学と競うようにして法曹を輩出してきた中央大学法学部がある。中央大学内部に財団法人民族科学研究所を創立し、戦後も長きにわたり、司法界をはじめとして憲法学者を輩出し、憲法学会を支えてきた。
機関名 役職
財団法人民族科学研究所(認可:昭和17年8月) 総裁陸軍大将宇垣一成、副総裁中央大学学長林頼三郎
  • 憲法学会と日本公法学会の2学会に共通する研究として、国法学を研究分野として取り上げている点にある。戦前は、東京帝国大学法科大学においては、憲法講座と国法学講座が並立して開講し、戦後には芦部信喜も講座を担当した。そもそも憲法と国法学は車の両輪である。しかしながら、敗戦後、日本社会における共産主義勢力の急激な台頭に伴う天皇制の否定、日本国家への侮蔑・冷笑的態度は、いつしか国体国法学国史研究を日本社会の表舞台から退行させる結果となった。敗戦後は、時流の流れの中で、多くの者が立場を変えていった。その中で踏みとどまる者は少数であった。このような中でも、京都大学を中心とした日本の文化・伝統を重んじる京都学派が憲法学会を組織し、政財官界をはじめ日本社会の心ある人々によって支持されている。令和の現在、国体国法学国史研究などは復調し、憲法学会をはじめ様々な学会で行われている。マルクス主義者鈴木安蔵(京都学派#京都学派(憲法学)左派)は憲法理論研究会を設立し、国体を分析する。
憲法の歴史的研究(憲法史研究、比較憲法史研究、憲法思想史研究、憲法学史研究)が行われないと、「学連事件」で自分たちを処罰した「国体」の本質を解明することができない、憲法理論批判が学問化されないと、「国体」を科学的に批判することができない、しかも、それらの研究の科学性を担保するにはマルクス主義の方法によることが必要である、という考えに鈴木が到達したことにある。 憲法理論研究会の創始者・鈴木安蔵氏の人と学問[7]

一般に国法学教授の学説が憲法学における有力説となった。戦後、長らく芦部信喜の著書が司法試験の基本書となったのは、芦部が国法学講座教授であったことにも由来する。慶應義塾大学と日本大学のように結びつきが強い大学がある一方、日本大学と國學院大學のように、皇典講究所を母体とする同学同門であっても、学統・学派の系譜がかつてほどは見受けられない関係もある。同じ大学であっても、公法研究の学統・学派の系譜(師弟関係)は分岐していく。師匠の所属する大学も変化する。慶應の事例として、浅井清慶大教授は東京帝国大学教授美濃部達吉に師事した。1947年、浅井が人事院総裁に就任し、慶應を退職する。その後、田口精一が1949年助手採用され、1961年法学部教授になるまで公法関係の専任教授は14年間不在となる。田口精一は東大教授に師事せず、田上穰治一橋大教授に師事した。各大学は、その時代ごとに、様々な学派が入り混じっていくのが憲法学研究者の学閥の特徴である。京都学派(又は東京学派)の学統・学派の系譜は、日本各地の国公私立大学へ及ぶ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
京都帝国大学国法学講座教授(京都学派)井上密市村光恵、森口繁治、朧谷峻嶺
 
 
 
 
 
東京帝国大学国法学講座教授(東京学派)末岡精一一木喜徳郎芦部信喜
 
  • 京都学派は憲法が現実とそぐわないときには立法事実などを精緻に分析し法律学的解釈を志向する(改憲する)。これに対し、東京学派は憲法をその都度その都度政治学的解釈(解釈改憲)で取り繕おうとする。
京大の大石眞一門は、基本的に自衛隊も集団的自衛権も合憲であるとしています。実のところ、佐々木惣一以来、佐藤幸治を含む京大憲法学は、いわゆる芦田修正を重視し、自衛隊を合憲だとし、国連憲章で認められた集団的自衛権を除外しない立場をとってきました。 大阪弁護士会《憲法問題特別委員会だより》[8]

事業

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憲法学会は、その事業として次の6つを定める[9]

  1. 研究会、講演会及び講習会の開催
  2. 機関誌「憲法研究」その他図書の刊行
  3. 論文その他の意見の発表
  4. 講師の派遣その他必要な啓発運動
  5. 政府、公共団体及びその他の団体との連絡協力
  6. 前各号のほか適当と認めるもの

例えば、その他の意見の発表として、1979年(昭和54年)になされた「枢密院建物の保存に関する件」の決議、提出がある。

旧枢密院庁舎が改修され、平成25年6月、皇宮警察本部庁舎として復活しました。憲法学会は、昭和54年7月の総会時、枢密院建物の保存に関する件を決議し、宮内庁長官へ提出致しました。当該案件につき、昭和55年7月8日、皇宮警察本部より、関係当局において検討を重ねる旨の返信を得、今般、旧枢密院庁舎が改修され皇宮警察本部庁舎に生まれ変わりました。憲法学会公式サイト お知らせ[10]

学派

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日本公法学会
1948年創立。学術団体として政治的党派性はなく、政治的に中立[11]。「本会の事務所は、東京都文京区本郷七丁目三番東京大学法学部研究室に置く」[12]
 
 
 
 
 
憲法学会
1959年創立。京都学派#京都学派(憲法学)
 
  • 憲法研究を行う学術団体としては、穏健な中道保守主義の立場で立論する。
  • 国防を肯定するなどの点から保守派とされるが、世論調査に現れる国民大多数の憲法認識とおなじところである。
  • 日本政府の国策と親和性を有する。
  • 初代理事長澤田が内務省官僚(警察官僚)出身であることから、学会設立当初から官界(行政官僚)出身者が多く、政府、公共団体との連絡協力が緊密であり、会員の中から防衛省警察庁国税庁等の省庁大学校教官や外部講師(審議会委員)等になる者もいる。
  • 冷戦時代(1990年当時)の憲法学界について、憲法学会員であった小林のインタビュー内での私見を参考に取り上げる。
憲法学者の世界は8割が左翼、2割が右翼でね。所属する学会も、左は日本公法学会、右は憲法学会などと分かれていて。左は「改憲」はタブーだった・・そのまま日本学術会議の法学者の構成に反映されていたかと言えば、そうではなかった。当時の学術会議では、丸めて言えば、ほぼすべてが左で独占されていた。・・それで米国留学経験があり、討論が得意だった僕に右の学者たちが白羽の矢を立てた。彼らに推され、日本学術会議で法学系の会員を推薦する長老学者たちの集まりに乗り込んで談判したんです。学術会議の大会議室だった。顔役のような学者たちと向き合って「学界の構成通り、学術会議の会員も、右の学者をせめて2割は入れるのが筋だ。学問なんだから、異論があって当たり前ではないか。放逐するのは全体主義だ」と意見した。でも長老たちは「今のままで何も問題ない」の一点張り。菅首相の官房長官時代の答弁みたいだったね。小林節・慶応大名誉教授[13]
  • 1992年、自衛隊合憲を唱える憲法学者は2割であったことは、日本社会党参議院議員細谷昭雄が公述人伊藤憲一(元外交官、青山学院大学教授)への発言からも確認できる[14]。また、憲法学会員であった民主党衆議院議員園田康博(日大院法卒、慶応大非常勤講師)が日本共産党衆議院議員山口富男の自衛隊違憲論をたしなめる発言のなかで、憲法学会の立ち位置を発言している[15]。令和の現在は、冷戦の終了とともに左派の雪崩式衰退とともに、中道保守層が大多数となっている。
京大の佐藤幸治先生が、青林書院から『憲法』の教科書を出版され、今では考えられませんが、あれが憲法の教科書なのかと物議を醸しだしていた時代でした。今では死語かもしれませんが、まだ、京都学派と東京学派という、学風の違いがあって、京大の先生の憲法の教科書、というだけで東京方面からは色眼鏡で見られていたのかもしれません。山花郁夫・元法務副大臣、衆議院憲法審査会筆頭幹事、立憲民主党憲法調査会長、2023年7月20日 [16][17]
  • 日本の学界(日本学術会議)では、1946年1月12日創立された民主主義科学者協会[18]マルクス主義者を中心として構成された[19][20])が最大勢力であった。とりわけ憲法学界では民主主義科学者協会法律部会員が司法試験考査委員等を占めてきた。1964年には、優れたマルクス主義憲法学者鈴木安蔵により憲法理論研究会が創立された。鈴木安蔵は、日本共産党中央委員会議長野坂参三とともに憲法改悪阻止各界連絡会議を主導して活発な活動を行っていた。なお、野坂は慶大在学中、皇太子明仁親王(現在の上皇)の教育係となる小泉信三の門下生であったが、卒業後は活動家となり、冷戦後にソ連スパイ機関NKVDの協力者として日本共産党を除名されている。鈴木安蔵は、戦前は国士・右翼的言説をおこなう大東亜共栄圏のイデオローグとして侵略戦争を翼賛したことで著名であり、戦後、内閣調査室(現:内閣情報調査室)が編集に関与したとされる『進歩的文化人 学者先生戦前戦後言質集』でも思想・信条の大転換を指摘されている。こうしたなか、第1次安倍内閣成立期頃まで、保守派は少数派であった。憲法学界の中では、東大教授長谷部恭男(のち、日本公法学会理事長)が『憲法と平和を問いなおす』(2004年)で東大教授として初めて自衛隊合憲を主張し、日本政治が政権交代を通じ、与野党ともに現実路線への変更とその定着がされたのと相まって、憲法学界においても保守派の影響力が当然伸長し、今日では保守派の公職などへの登用が積極的にされている。その上で、日本政府は日本学術会議の在り方そのものを議論するようになり、2024年12月19日、日本学術会議の在り方に関する有識者懇談会(警察政策学会員他)が有識者懇談会報告書をまとめた。今後立法化が予定され、日本学術会議の健全化が既定路線となっている。
  • 早稲田大学大学院法学研究科・法学部学生運動が盛んであった。そのため、早稲田大学で憲法を学びたい保守派の学生は早稲田大学大学院政治学研究科政治学専攻憲法専修をすることが多かった。昔は多くの大学で左翼が強いため、法学部法律学科では左派が憲法学を講義することが多かった。保守派の学生は政治学を専攻することが自然であった。玉澤徳一郎(早稲田大学院政治学修了、富士大学助教授、第56代防衛庁長官)、小渕恵三(早稲田大学院政治学修了、第84代内閣総理大臣)他。憲法学会員の中に、法学部法律学科ではなく、政治学科政治学研究科の学歴の会員が多いのはこの名残りでもある。
  • 令和の憲法学界において、日本国憲法第9条をめぐる旧来の観念的な右翼左翼の色分けは消滅した。わが国を取り巻く厳しい安全保障環境と言論人の世代交代を受け、保革の勢力は均衡し、やがて第1次安倍内閣成立期から改憲勢力が趨勢となり、第2次安倍内閣を契機としてアカデミアの大宗を占めるようになった。解釈改憲論者の代表者として慶應義塾大学教授山元一[21]がいる。内閣法制局長官小松一郎横畠裕介による集団的自衛権行使を可能とする憲法解釈への一連の流れが定着したことと平仄を合わせる。これらの社会変化に呼応する形で、国公私立大学の新規教員採用・内部昇進などは保守派採用へと明確に好転している。学校教育法と国立大学法人法が改正され、教育研究評議会の誕生、大規模国立大学に運営方針を決める合議体「運営方針会議」の設置を義務付けるなど、外部監査などのガバナンス強化(教授会の地位の相対的低下)、内規(採用・昇進他)の改正、デュアルユース(軍事研究)の解禁の流れが後押しする。警察大学校#警察政策研究センターは「警察に関する政策並びに学術及びその運用に関する調査研究」などを目的として、かつては激しい学生運動(反体制運動)で名高かった東京都立大学法学部、法政大学法学部へ優秀な警察官を派遣して学術交流をしている。東京都においては、石原慎太郎東京都知事(1999年~2012年)の下、東京都立大学改革が行われた。平成中期の憲法論争に関しては、東京都立大学法学部教授に着任した富井幸雄(中大法卒、防衛研究所主任研究官、防衛法学会理事)が社民党衆議院議員辻元清美の質問へなした返答が参考となる。
○富井参考人 従来の安全保障の議論というのは九条という議論で、私も法律学の学会に属していますが、特に憲法学会などは、これは私はそれなりに健全な解釈だと思いますが、例えば自衛隊違憲ですとか、そういうような流れで来たということで、なかなかその先に行かなかった。しかし、国民は、実際には、自衛隊が憲法違反かどうかということを無視するわけじゃないですけれども、本当に日本、我々を守ってくれるのか、国家を守ってくれるのかというようなことを危惧しているということで、この負託にはやはり政府はこたえなければいけない。
第165回国会 衆議院 安全保障委員会 第9号 平成18年11月24日

令和の日本では、憲法学に関して落ち着いた議論がなされるようになっている。

解禁の理由として、日本学術会議がここ数年の国会答弁などで「科学技術そのものを潜在的な転用可能性に応じて事前に評価し、規制することは容易とは言えない」といった見解を示していることを挙げた。
朝日新聞 「「なぜ今」学長通知に波紋 神戸大「軍事研究」助成制度への方針一変」2025年6月22日[27]

現在、デュアルユースに関しては、北海道大学、筑波大学、岡山大学、山口大学、大阪公立大学、熊本大学などの国公立大学の他、私立大学では、戦前に電波兵器技術養成所を擁した財団法人国防理工学園を前身とする東海大学などのように、デュアルユースへ積極的な姿勢を表明する総合大学が続々と出始めている。なお、東海大学創立者松前重義は戦前高度国防国家の建設を主導し、国体論についても日本国家の科学性の観点から論じてきた[28]。松前重義は憲法学会初代理事長澤田竹治郎と盟友であり、ともに東条英機内閣を批判し、倒閣運動をした結果、1944年に松前重義は二等兵として南方戦線に送られる懲罰召集をされている。言論界においては、1944年2月23日の毎日新聞紙面にて、航空・海上軍事力を重視すべしと論じ、いわゆる東条英機への竹槍批判[29]をした新名丈夫記者が懲罰召集される[30]など、憲法学会初代理事長澤田竹治郎に賛同する者たちは軍国主義者により拘束・投獄されていった。憲法学会初代理事長澤田竹治郎は、戦前は極右・軍国主義者と戦い、戦後は共産主義国へ迎合し国威を毀損する左派が主流を占める学術界において、政官・経済界(現経団連日本商工会議所経済同友会)の支援により穏健な中道・保守主義の憲法研究を行う憲法学会を設立した。

憲法上の論点について議論する際には、京都大学(京都学派)と東京大学(東京学派)の双方の学説を引用しながら討論する。

 民主主義の原則の点からは、解散自体は民意を問う行為であり、むしろ民主主義に沿うものであります。憲法学の大家である佐藤幸治京大名誉教授が指摘するように、政治的問題により国会での統一的意思形成に支障を生じている場合などに、内閣が責任ある政策形成を維持するため解散によって国民の意思を問うことは、国民主権の趣旨に沿うとともに、内閣による責任ある政策形成を制度上可能にするものだからであります。

 政府も一貫して、内閣が衆議院の解散を決定することについて、憲法上、これを制約する規定はなく、いかなる場合に衆議院を解散するかは内閣がその政治的責任で決すべきものとしています。

 もちろん、解散について法的制約を念頭に置いた議論がないわけではないことは先ほどの法制局長の紹介のとおりでありますが、憲法学の大家である芦部信喜東大名誉教授は、解散は国民に対して内閣が信を問う制度であるからそれにふさわしい理由が存在しなければならないと述べ、一つ、内閣の重要法案や予算等が否決された場合、二つ、内閣の与党体制が基本的に変わった場合、三つ、総選挙の際に争点とならなかった新たな重大政策課題が生じた場合などを挙げ、内閣の一方的な都合や党利党略で行われる解散は不当であるとしています。
衆議院の解散について 自由民主党山下貴司(元法務大臣)発言 第217回国会 憲法審査会 第6号(令和7年5月8日(木曜日))

総会及び研究集会

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  • 国内外から論客が参集し、年2回行われている。
  • 2023年は日本大学に於いて憲法学会・防衛法学会共催シンポジウムを開催した。
氏名 基調講演 備考(元職等)
同志社大学教授兼原信克 憲法と日本の安全保障 内閣官房副長官補、外務省国際法局長、内閣官房内閣情報調査室次長
日本国際問題研究所田村重信 平成の防衛政策・法制の変遷と憲法改正 防衛法学会理事、自由民主党政務調査会調査役、自由民主党総裁担当、慶應義塾大学大学院非常勤講師
  • 憲法学及びその隣接諸科学の研究者たる同憂の士と相提携協力」(憲法学会結成趣意書)の数多くの成功事例の一つとして防衛法分野が挙げられる。憲法学会と防衛法分野(防衛法学会)との関係は極めて緊密である[31]。憲法学会員と大平善梧(一橋大教授、青山学院大学学長、慶應義塾大学法学博士「安全保障と国際法」)などの隣接諸科学の研究者とにより防衛法研究会が創立され、現在の防衛法学会へと発展している経緯がある。憲法学会員による憲法学の論究(知る権利など)が防衛法分野のアカデミックな議論を深化させ、その権威を高め、内閣府・防衛省などの行政機関の政策決定に好影響を与え社会実装(「進んでその成果をひろく世に問ひ、国家の興隆と国家生活の発展に寄与」(憲法学会結成趣意書))している。

令和となり、国会の場では、自民党ではない野党側から政府参考人川原隆司法務事務次官へ対し、法制審議会の総会及び部会構成員の多様性を求める意見等もでるようになる。

先ほど憲法の学者も入っているということでしたけれども、これは、表現の自由を基本的人権ということで非常に重要視しているというお話も大臣の方からありましたので、この権利が制限される懸念があると、まあ制限されるという確実なものじゃなくても、懸念があるということは何度も表明されているわけですね。だから、ここの中に、例えば憲法学会とかいろんなところから意見を聴取するなり、委員のお一人だけではなくて、そういうことが必要じゃないかなと私は思います。
第208回国会 参議院 法務委員会 第14号 令和4年5月24日 参議院議員高良鉄美沖縄社会大衆党委員長)

現実的で穏健な中道・保守主義の憲法学会の独壇場となっている。令和7年の現在、防衛法学者が内閣官房情報保全諮問会議の委員へ選ばれている。情報保全諮問会議委員の選出は、情報保全諮問会議主査永野秀雄(法政大法卒、法政大教授、防衛法学会第8代理事長(現任))、その他公法学会員1名等がバランスよく選ばれている。

  • 内閣調査室(現:内閣情報調査室)創立メンバー志垣民郎の日記資料である「東京大学データーベース志垣民郎旧蔵 オンライン版 内調資料[32]」等も参考となる。

1968(昭和43)年
5月31日(金)
相原氏の各学会出席報告あり。水産大のこと。公法学会のことなど聞く。
6月26日(水)
川西誠氏[日本大学教授]あり。ともに宴。日大騒動の状況聞く。学術会議対策、候補者選定など協議。
7月25日(木)
相原氏に奥原唯弘氏[神奈川大学、近畿大学]も来る。学術会議選挙対策。

志垣民郎著、岸俊光編『内閣調査室秘録 戦後思想を動かした男』[33]

記事中、川西は憲法学会3代目理事長であり、相原は憲法学会4代目理事長である。 後日、奥原は日本学術会議会員に第一〇期から十二期まで三期にわたって推挙、選ばれている。奥原は中央大学法学部卒、早稲田大学大学院政治学研究科、防衛法学会理事。奥原は自民党民社党でも論客として活躍した。

  • 戦後、内閣調査室(現:内閣情報調査室)が編集に関与したとされる『学者先生戦前戦後言説集』では、戦時中の発言内容と相反する言動(左翼転向、自衛隊批判)をする学者への批判がまとめられている。参議院議員と法政大学総長を歴任した中村哲 (政治学者)は優れた憲法学者(美濃部達吉門下生)であり、戦前に台北帝国大学において憲法学を論じ、『国法学の史的研究』等も著している。中村のような優れた国法学の大家も戦後、左派全盛期になり、保守層から離れていった。そうしたなか、自民党衆議院議員辻政信が、『学者先生戦前戦後言説集』内に記載されている中村の戦前の言動について、中村を詰問した衆議院内閣委員会公聴会が行われた。公聴会の開催前年には、自民党が中央大学講堂で結成され、中央大学と日本大学を中心として自由民主党学生部中央執行委員会(自民党学生部)が創立されるなど保守派の青年団体も構築され[34]防衛大学校警察大学校等の省庁大学校の整備構想も進み、保守派の岩盤支持層が形成されてきた時期である。

○辻委員 いかに敗戦という事態にぶつかったにしても、十年間にあなたの学者的良心がかくのごとく百八十度転回されたということについて、どういう心境の変化からそうなられたか、それをまず簡単に承わりたい。
○辻委員 そうすると、あなたは、学者的な良心において旧憲法に必ずしも同意でなかったが、当時の政治的な圧力といいますか、環境のもとにその礼賛をやらなければならなかった、礼賛という言葉はひど過ぎるかもしれませんが、あなたがほんとうに学者としての良心があれば、こういうことを筆にお書きになるものではない、そういう感じを持つのです。いま一つ、それではさらに突っ込んでいきましょう。それでは最悪の事態、共産党が日本に入ってきてブルガーニンが君臨したときに、その強大な政治的圧力で共産主義的な憲法をあなたに要求したときに、あなたはその権力に屈して、今度は赤旗のお先棒をかついで得意の変節をやるかどうか、これについて承わりたい。
○辻委員 今の御時世において、あなたはどうして権力の可能な範囲においてお曲げになるか、もう少し強くなっていただきたい。これ以上あなたの答弁は要求しませんが、学者の影響というものは近ごろ非常に大きい。あなたも大学の教授です。あなたの思想はそのまま純真な学生に入っていく。何でもない人の言うことと違いますよ。あなた方は戦争中の有名な花形論客ですよ。その意味において、あなたに御自重をお願いします。御答弁は要りません。
○辻委員 あやまちを改めることは決してとがめません。あのときあなたが敢然として主張し得なかったことを後悔しておりますから、そこであなたの将来に期待することは、もし日本に独裁的な赤の政権ができた場合に、今度こそほんとうにそれに屈しないように、あくまでも民主主義を守っていただきたいということを希望して、私の発言を終ります。

第24回国会 衆議院 内閣委員会公聴会 第1号 昭和31年3月16日

憲法学会は、この公聴会後に京都大学を中心とする京都学派により、元警察官僚澤田を理事長として創立された。なお、中村はこの公聴会後に『よみがえる暗黒 警察国家への危機』を執筆出版している。

時代背景として安保闘争が1960年前後の第一次安保闘争を経て、暴力革命を標榜する一部の過激派が大学を根城とし、1970年前後の第二次安保闘争に向う政治闘争の時期であった。学園紛争は死傷者を多く出すなど混乱しており、このような世相を諫める役割は重要であった。平成までは、同じ大学の学内で左派と保守派が論争することは珍しくなく、議論をすることで学理が深まり、相互理解が進んだ。事例として、日本大学法学部においても、論者によって対立し、様々な論争が行われてきた。憲法学に目を転ずれば、国税庁による税務調査、質問検査権等の憲法学上の問題が一例としてある。いわゆる民商事案である。民商は昭和49年度警察白書等で日本共産党との関係性を指摘されてきた。日大法学部教授北野弘久(立命館大卒、民主主義科学者協会法律部会民科法律学校校長、日本学術会議会員、日本民主法律家協会理事長)が国税庁を論難し、同じく日大法学部教授松澤智(日大法卒、法務大臣官房訟務部付検事国税不服審判所審判官、東京地裁判事、政府税制調査会委員)が国税庁に与する代表論者であった。民商事案の背景としては、優秀な行政官であった木村秀弘(元陸軍司政官)の存在が挙げられる。岸信介政権日米安全保障条約(改定)をする際、木村は防衛庁経理局長として、防衛庁内で獅子奮迅の活躍をした。木村はその功績が認められ、国税庁長官に就任した。木村が「3年以内に民商をつぶす」と各国税局長に通達を出した[35]ことが民商事案の遠因といわれている。

社会貢献

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憲法学会員を含む憲法学者の社会貢献の一環として、法教育の普及がある。事例として、法律討論会を取り上げる。京都学派の沢田嘉貞京都大学教授(憲法学、地方自治)とスウェーデン憲法学の大家である菱木昭八朗(専修大学卒、専修大学教授)により、京都学派の拠点である関西(大阪中之島公会堂)において創立された全日本学生法学連盟が挙げられる。令和の現在も続く法教育史に残る伝統ある討論会であり、最高裁判所事務総局総務局編『裁判所沿革誌 第1巻』[36]等にも記録されている。敗戦後の荒廃する国土において、日本の文化・伝統を信じ、占領下の疲弊する民心を鼓舞し、日本国家の明日を支えるエリート層の育成をしてきた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
全日本学生法律討論会
全日本学生法学連盟
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
関西学生法学連盟
関西大学法学部関西学院大学法学部同志社大学法学部立命館大学法学部、神戸学院大学法学部
 
 
 
関東学生法学連盟
慶應義塾大学法学部、駒澤大学法学部、専修大学法学部、中央大学法学部日本大学法学部明治大学法学部立教大学法学部早稲田大学法学部
 
 
 
九州・瀬戸内学生法学連盟
香川大学法学部、九州大学法学部、福岡大学法学部、鹿児島大学法文学部、志學館大学法学部、広島修道大学法学部
 
この全日本学生法学連盟(以下全日本法連と略称します)の歴史をちよつと説明しますと、昭和二六年に、関東学生法学連盟と関西学生法学連盟によつて成立したものです。この年の晩秋発会式と第一回の討論会が、関東代表と関西代表それぞれ三名計六名の選手の出場によつて、日本大学大講堂で行われたのでした。それから毎年一回、東京と関西と交互に会場を変え、東西各三名づつの代表選手を出して、討論会を重ねてきましたが、昨昭和三二年に九州学生法学連盟が結成されましたので、これも傘下に加わり、現在のような構成となつています宮崎敏行「学生法律討論会-三十年の歩み-」『綜合法学』1(1)創刊号[37]

毎年行われる討論会は最高裁判所最高検察庁日本弁護士連合会朝日新聞社日本評論社有斐閣の後援を受けている。このような討論会での活発な憲法討論を通し、日本国の次世代を担う若き俊秀を育んでいる。

憲法学会と憲法改正運動

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昭和54年春、自主憲法期成議員同盟と自主憲法制定国民会議との会長であった岸信介総理は、衆議院議員引退を発表されたことから、宿願の憲法改正運動を本格化することを決意……昭和54年秋から、議員会館の会議室で、毎月「自主憲法研究会」(のちに別称、新しい憲法をつくる研究会)を開催することになった。その当時の参加学者は、川西誠「憲法学会」理事長、相原良一常務理事、三瀦信吾理事、竹花光範事務局長など幹部が毎月の研究会へ参加して下さった。 新しい憲法をつくる国民会議(=自主憲法制定国民会議)公式サイト[38]

刊行物

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記念論文集

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  • 『憲法百年 : 憲法発布百周年憲法学会創設三十周年記念論文集』憲法発布百周年・憲法学会創設三十周年記念論文集編集委員会 編 1990年2月
  • 『憲法における普遍性と固有性―憲法学会五十周年記念論文集』憲法学会設立五十周年記念論文集編集委員会 編 成文堂 2010年11月
  • 『日本憲法学の理念と展望 憲法学会六十周年記念論文集』憲法学会六十周年記念論文集編集委員会 編 成文堂 2022年4月9日

憲法研究

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  • 誌名(和文):憲法研究
  • 誌名(欧文):THE JOURNAL OF CONSTITUTIONAL LAW
  • 創刊年:1962
  • 資料種別:ジャーナル(査読付き論文を含む)
  • 使用言語:日本語のみ
  • 発行形態:印刷体 
  • PRINT ISSN:0389-1089
  • 発行頻度:1回/一年あたり
  • 発行部数:400

脚注

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  1. 1 2 3 機関詳細 - 憲法学会”. 学会名鑑. 2024年7月12日閲覧。
  2. 日本学術会議協力学術研究団体一覧”. 日本学術会議. 2024年11月11日閲覧。
  3. 「自民党憲法起草小委員会要綱並びに衆・参憲法調査会報告書と憲法改正問題(シンポジウム1 憲法改正問題-この国をどうする-)」法政論叢 42 (2), 201-224, 2006,日本法政学会
  4. 一橋教員の本「戦後憲法学」の群像 江藤祥平(法学研究科)”. 一橋大学. 2021年7月9日閲覧。
  5. 設立趣意”. 憲法学会. 2024年7月12日閲覧。
  6. ・第6回~9回 大石 眞:「立憲主義と京都学派」
  7. 憲法理論研究会公式サイト 
  8. OBA Monthly Journal 2018.7 - ウェイバックマシン(2020年9月20日アーカイブ分)
  9. 学会規約第4条。
  10. 日本憲法学会 旧枢密院庁舎が改修され皇宮警察本部庁舎に(2013年10月1日) お知らせ
  11. 芦部信喜「日本公法学会の50年」樋口陽一=森英樹=高見勝利=辻村みよ子(編)『憲法理論の50年』(日本評論社・1996年)ほか。
  12. 日本公法学会規約第二条
  13. あそこは左翼の巣窟だけど… 反学術会議派・小林節氏が首相を糾弾する理由 毎日新聞電子版(2020年10月23日) - ウェイバックマシン(2020年10月24日アーカイブ分)
  14. 第123回国会 参議院 国際平和協力等に関する特別委員会公聴会 第1号 平成4年5月26日
  15. 第162回国会 衆議院 憲法調査会 第1号 平成17年2月3日
  16. 【第62回】私人間効力の問題に関連して、憲法学のトレンドについて #山花郁夫のいまさら聞けない憲法の話(2023年7月20日) - ウェイバックマシン
  17. 【第62回】私人間効力の問題に関連して、憲法学のトレンドについて #山花郁夫のいまさら聞けない憲法の話(2023年7月20日)
  18. 岩波書店編集部 編『近代日本総合年表 第四版』岩波書店、2001年11月26日、351頁。ISBN 4-00-022512-X 
  19. 民主主義科学者協会の結成日本におけるマルクス主義法学
  20. 民主主義科学者協会コトバンク
  21. 早大政経卒、博士(法学)(東京大学)
  22. “官房副長官に橘、青木氏 首相補佐官に長島氏起用―石破新政権”. 時事通信. 2024年10月2日. 2024年10月3日閲覧.
  23. 『法律学研究』第15号 慶應義塾大学法学部法律学科ゼミナール委員会編 p178 卒業論文一覧(昭和五八年度―昭和五八年十一月十日現在の卒論提出者並びに提出予定者―)小林 節研究会(憲法)駒村圭吾『独立行政委員会』、長島昭久『政治問題の法理』
  24. 全国憲法研究会 2024年度憲法記念講演会のご案内 2024-03-27(閲覧2024年11月8日)
  25. 菅首相が学術会議の任命を拒否した6人はこんな人 安保法制、特定秘密保護法、辺野古などで政府に異論”. 東京新聞 TOKYO Web. 2020年10月4日閲覧。
  26. 日本学術会議の改革に向けた提言 自民党 20204年11月14日閲覧
  27. 朝日新聞 「「なぜ今」学長通知に波紋 神戸大「軍事研究」助成制度への方針一変」2025年6月22日
  28. 松前重義『科学・技術・思想』(科学主義工業社、1941年)
  29. 「敵が飛行機で攻めに来るのに竹槍をもつては戦ひ得ない」
  30. 『毎日新聞百年史』 37歳で極度の近視により徴兵免除されていた新名記者は、この記事により懲罰召集となる
  31. 防衛大学校教授陣、宇都宮静男や西修 (法学者)による『口語防衛法』(1974年)など参照
  32. 東京大学データーベース志垣民郎旧蔵 オンライン版 内調資料
  33. 文春新書 2019年 pp.112-113 関連個所のみ最小限引用
  34. 常井健一『誰も書かなかった自民党総理の登竜門「青年局」の研究』(新潮新書561)新潮社, 2014年
  35. 民商・全商連の60年 全国商工新聞 第2965号 3月7日付
  36. 最高裁判所事務総局総務局/編 法曹会 1968年
  37. 中央経済社 1958年 84頁乃至86頁
  38. 1)憲法改正案づくりの始まりの経緯
  39. 自民党憲法改正実現本部

参考文献

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  • 日本学術協力財団 編『学会名鑑 2007-2009年版』日本学術協力財団、2007年。ISBN 4939091074 
  • 防衛:防衛研究所(刊行物)
  • 警察:立花書房
  • 国税:税務大学校(税大講本)
  • 大橋良介『京都学派と日本海軍: 新史料大島メモをめぐって』(PHP新書 185) ,2001
  • 花澤哲文『高坂正顕: 京都学派と歴史哲学』燈影舎,2008
  • 酒井直樹編『「近代の超克」と京都学派 近代性・帝国・普遍性』以文社,2010
  • 竹田篤司『物語「京都学派」- 知識人たちの友情と葛藤』 (中公文庫 た 84-1),2012
  • 菅原潤『京都学派』(講談社現代新書 2466),2018

関連項目

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外部リンク

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