◐ Shell
clean mode source ↗

タイガー服部

タイガー服部
プロフィール
リングネーム タイガー服部
本名 服部 正男
身長 165cm
体重 68kg
誕生日 1945年7月20日(80歳)
出身地 東京都中央区
スポーツ歴 レスリング
デビュー 1978年
引退 2020年2月19日
テンプレートを表示

タイガー服部(タイガーはっとり、1945年7月20日 - )は、日本プロレスの元レフェリーマネージャー、元レスリング選手。本名は服部 正男(はっとり まさお)。東京都中央区出身。最終所属新日本プロレス

来歴

[編集]

この節は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。このテンプレートの使い方
出典検索?: "タイガー服部"  ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL
(2023年5月)

明治大学在学時にレスリングで頭角を現し、1966年全日本レスリング選手権大会男子グレコローマン・バンタム級で優勝を果たした。

卒業後は松浪健四郎と渡米し、コーチ業をしながら選手活動を継続。全米選手権を制覇(詳細不明)したのをきっかけにプロレスラーにレスリングを教えるようになり、1970年代後半にフロリダにてヒロ・マツダの道場に入りハルク・ホーガンらを指導。また、同時期にフロリダ地区(エディ・グラハム主宰のチャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)で活動していたマサ斎藤(明治大学の同僚)、高千穂明久ミスター・ヒトミスター・サクラダキラー・カーンら日本人選手のマネージャーも務めた。この頃、ミッドサウス地区のプロモーターのビル・ワットにタイガー服部と命名され、以後そのリングネームを名乗る。

フロリダではレフェリーも担当し、1980年には全日本プロレス世界最強タッグ決定リーグ戦NWAの公認レフェリーとして参加して日本プロレス界に初登場。アブドーラ・ザ・ブッチャー&キラー・トーア・カマタザ・シーク&グレート・メフィスト(最終戦蔵前国技館大会のセミファイナル)などの試合を裁いている。

その後、フロリダでヒールとして活動していたザ・ファンクスのマネージャーを経て1982年新日本プロレスに入団したが、1984年には長州力と共にジャパンプロレスの設立に参画。長州とともに歩むレフェリー人生が始まった。提携先の全日本プロレスにおいてはジョー樋口に次ぐポジションのレフェリーとなっていた。なお1985年11月14日に行われた長州力対ジャンボ鶴田戦のレフェリーも務めている。

ジャパンプロレスの崩壊に際しては長州とともに新日本に復帰。1990年代にはミスター高橋を抑えメイン級のレフェリーとなり、ほとんどの大試合を裁いた。海外経験を生かして外国人レスラーの招聘にも力を発揮した。

1999年1月4日小川直也橋本真也戦では、小川の異変を察し反則裁定に持ち込むことを狙った橋本から、強烈な膝蹴りを食らっている。詳しい経緯は小川の項参照。

2001年には審判部長に就任したが、2002年をもって体調不良を理由に退団。

その年の末、盟友・長州が再び新日本を離れ2002年末にWJプロレスを設立すると、同団体レフェリーとして復帰した。しかし、1年で団体は崩壊し[1]、フリーの外国人エージェントとして活動する傍ら[2]2004年には再び新日本にレフェリーとして出戻る。レフェリーとしてはメイン級からはやや引いた形だがブロック・レスナーを招聘するなど、渉外として実績を残した。

2011年に持病のヘルニアが悪化して以後は、ビッグマッチを中心として出場試合数を縮小している。

2019年9月28日、ニューヨーク大会でアメリカ最後のレフェリングとなる試合を裁く。また同大会で「ファイナルカウントダウンセレモニー」が行われ、アメリカのファンに感謝を述べた[3][4]

2020年2月19日後楽園ホール大会をもってレフェリーを引退[5]

2023年1月4日東京ドームの「アントニオ猪木メモリアル6人タッグマッチ」と題したスペシャルマッチの真壁刀義小島聡永田裕志藤波辰爾鈴木みのるタイガーマスク戦でレフェリーは引退しているが復活をしている[6]

2023年2月21日、プロレスリング・ノア東京ドーム大会で武藤敬司vs蝶野正洋のレフェリーを急遽行った。

エピソード

[編集]

この節は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。このテンプレートの使い方
出典検索?: "タイガー服部"  ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL
(2023年5月)

この節に雑多な内容が羅列されています 事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります2012年5月

  • 「ケンカ最強」がまことしやかにささやかれた人物(一説にはレスラーをしのぐ、とも)。その面では腕に覚えあるマサ斎藤も一目置いており、G1 CLIMAXの優勝者予想を聞かれた斎藤が「服部さん、六本木で喧嘩したらしいよ。強かったらしいよ」と答えたことがある。
  • 1994年1月4日のアントニオ猪木vs天龍源一郎の一戦のレフェリーを務めたが、天龍が猪木のスリーパーで失神してしまった時にKOやダウンカウントを数えずそのことをマイクで説明したが、滑舌が想像以上に悪すぎて、何と言っているのか分からなかった。
  • 1994年4月4日の橋本真也vs藤波辰爾の一戦のレフェリーを務め、橋本に攻められていた藤波がダウンした時、リングサイドで様子を伺っていたが、執拗にカウントを要求したことが相当腹だったらしく、馳に近づきリング上から2、3発蹴りを見舞った。
  • ユークス制作のプロレスゲームソフト『闘魂烈伝』シリーズにもレフェリーとして登場しているが、隠しレスラーとしても登場している。タイガーつながりでタイガーマスク殺法を使いこなす。
  • 外国人レスラーに関する知識の豊富さを買われ、WCWマンデー・ナイトロの日本放送版の解説を務めていた。
  • 自宅はニューヨークにある。蝶野正洋によると、ニューヨークに複数の不動産を所有しており、関係者から「トランプ」と呼ばれている。
  • 長州力のTwitterにて度々、登場する【まさお】はタイガー服部の事である。

著書

[編集]

脚注

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]

選手
所属
ヘビー級
ジュニアヘビー級
フリーランス・その他団体
ジュニアヘビー級
ユニット
UNITED EMPIRE
HOUSE OF TORTURE
TMDK
Unbound Co.
派生ユニット・タッグチーム
スタッフ
レフェリー
リングアナウンサー
IWGP実行委員
役員
タイトル
IWGP
NEVER
STRONG
その他
廃止された王座
大会・興行
リーグ戦・トーナメント
ビッグイベント
別ブランド
その他
故人
交流団体
関連項目